2018年06月26日

祖母が亡くなった

昨日の昼過ぎだった。病院から連絡が来た時には既に心肺停止の状態。両親が駆けつけて死亡宣告という流れだったらしい。最期は意外なほどあっけなかった。91歳の「超高齢者」なんてそんなものなんだろう。10時ごろまではお喋りをして歯磨きもしていたという。人知れず、ひっそりと、静かに旅立った。

これでまた一つ、我が家の章が終わった。前に同じ気持ちを感じたのは11年前の2月。当時飼っていた犬が死に、それと同時に弟が就職をして家を出た。一つの時代の終わりを感じて寂しさが募った。今回は既に3年前から施設に入っていた祖母の死。正直、あまり実感がない。家の中は何も変わらないからね。認知症も進んでいて、家族の知る祖母は5年前に亡くなっている感覚。言い方は悪いが、最近の祖母は「祖母だったものの抜け殻」が死に切れず現世を漂っている状態だったと思う。精神の死は既に訪れていて、ようやく肉体の死が追いついた。そんな印象だ。

人でも動物でも死に際して思うのは、一生はあまりにも短いということ。当然、自分にも終わりがあり、時間は限られているということ。だからこそ懸命に、ひたむきに生きねばならないということ。今回は特に認知症や介護が絡んだ事で、生物学的な寿命と健康寿命の差も目の当たりにした。祖母は自分の健康管理に無頓着過ぎた。だから5年も6年も、要介護のまま生きねばならなかった。例え散歩一つでも疎かにせず続けていたら、脳や身体の衰えを幾らか遅らせる事が出来たかもしれない。そうすれば骨折する事もなく、要介護の期間は半分程度で済んだのかも。

反面教師とするならそんな所だろうか。健康で気力体力共に充実していて自分の好きな事を思う存分楽しめる。そんな時間は決して長くはないのかもしれない。そう思うとつまらない、くだらない事にとらわれて強迫三昧な自分の生き方が全くの無駄の塊に思えてくる。俺の人生は不安だらけで無駄が多く、とても悲観的だ。それでも人生は続く。そうやって齢40手前までやって来た。この生き方を少しでも変えたい。心身共に健康でありたい。今から変えられる事はそう多くはないかも知れないけど、今回の件が強く強く心に訴えかけている。もう「損」はしたくない。これ以上人生を損ないたくない。どこまでやれるか分からないが、今朝は気分を新たにしている。

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posted by YU320R at 09:02| Comment(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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